今想う、東北を旅したあの日々
今回は特別編で2011年、2012年と頻繁に訪れた東北の旅を記します。
そうです。東日本大震災が起こった直後です。
映画を含むエンタメは自粛ムード。私自身、茨城県水戸の実家はブロック塀が見事に倒れ、大工だった爺ちゃんが建てた家屋には倒壊の危険がありという事で「要注意」の黄色い紙が市から貼られる状態で、気が気でありません。
でも所詮、執筆業。何が出来るってワケじゃないんですよね。
それでも、1周回って映画に関わることしか出来ないなと思い、友人が関わっていた被災地での映画無料上映プロジェクト「にじいろシネマ」に参加する事にしました。
代表の並木勇一さんが営むホームシアター設備会社「budscene」のある埼玉県川越市に夜中12時に集合して、東北自動車道を走って現地に早朝到着。コンビニの駐車場で仮眠をとってから、その日の開催場所である仮設住宅の集会所や避難所になっていた学校の体育館へと向かうのがいつものスケジュール。避難生活が長期に及ぶと被災者の心もささくれ立っていて被災者同士の喧嘩にも遭遇したし、
石巻では上映準備中に震度4の地震が起こる津波警報が発令されて、住民の方と一緒に近くの陸橋に避難したことも。
正直、怖かった。
「映画で束の間の安らぎを」との思いで訪問したものの、奢り以外の何ものでもないなと猛省する日々。それでも楽しみに待ってくれている人が一人でもいるのならと、可能な限り参加しました。
その時、地元のお母さんが口々に言うのです。
「映画を見るのは、こっちに嫁に来てから初めてだから、20数年ぶりだわー」
「この辺、映画館ないからね。一番近くで、車で1時間かな」
恥ずかしながら、その時初めて東北の映画事情を知りました。
当時、三陸地方の映画館は、岩手県宮古市の「みやこシネマリーン」のみ。ただし、同映画館も2016年2月に閉館しました。(*運営していたみやこ映画生協は地域での定期的な上映会活動を継続中)
被災地での上映活動を経験して、痛感しました。
「映画を見る」という習慣が失われると、それを取り戻すことがいかに大変かということを。
調べてみると東北だけではなく、山陰地方に四国など映画館空白地域は日本全国あちこちに。
本当に多彩な作品を楽しめるのは都心だけで、地方とのいわゆる”文化格差”に愕然。日ごろ映画の記事は書いていますが、一体誰に向けて自分は書いているのかと考えるようになりました。
以来、映画がいかにして観客に届くのかを知りたくて、全国のミニシアターなどが加盟している一般社団法人コミュニティシネマセンターが年一回行う「全国コミュニティシネマ会議」に参加するようになりました。
そこには採算度外視で地域の映画文化を守ろうと奮闘しているカッコイイけど、おそらく地元では結構はみ出しているであろう(笑)永遠の映画少年・少女のような一癖も二癖もある大人たちがいました。でも競争社会の殺伐とした時代に、映画に夢をかけちゃうロマンティックな大人たちってステキじゃありません?
しかし今、ミニシアターはコロナ禍の影響で苦境に立たされています。東日本大震災の時以上の危機です。もちろん苦しいのはミニシアターだけではないし、旅行好きな筆者としては、今日も旅行のチラシをぼーっと見ながらまだ見ぬ世界へと思いを馳せてしまいましたよ。
もし、あなたの「失っては困るもの」リストにミニシアターがあったら、
#SaveTheCinema 「ミニシアターを救え!」プロジェクトにアクセスを。
0コメント