大林宣彦監督とイタリアの解放記念日


 きょう4月25日は、1945年にイタリアがナチスとファシズムから解放された記念日「Anniversario della Liberazione」。本来ならイタリア全土でパレードなどの記念イベントが開催されます。例年この時期は、イタリア北部で開催されるウディネ・ファーイースト映画祭参加のため現地へ赴いていました。

オーストリアやスロベニアとの国境にも近いこの街は、第1次大戦時はオーストリア、第2次大戦時はドイツの占領下に置かれていたという複雑な歴史があります。だからなのでしょうか。人口10万人弱の街なのに、マッジョ広場からリベルタ広場までを進むパレードには元兵士から戦没者遺族、さらには子どもに犬まで!ほぼ市民全員が参加しているのではないかと思うくらい盛大で壮観。






イタリアと三国同盟を結んでいた日本人としては複雑な感情を抱きつつも、見守らなければならないという使命感もあってリベルタ広場に駆けつけるのが恒例となっていました。

 このパレードを映画祭に参加している日本人の監督たちにもひと目見てほしくて声をかけるのですが、皆さん夜の交流にお忙しいようで(苦笑)、朝10時スタートと聞くと渋い返事が。そんな中、「見てみたい」と言ってくださったのが2016年に同映画祭でゴールデン・マルベリー賞(生涯功労賞)を受賞した大林宣彦監督でした。

 大林監督は同年8月に肺がんが判明しましたが、その頃から体調はあまり思わしくなかったようでした。加えて現地のスケジュールがなかなかハードで、12時からは記者会見が予定され、時間はあまりありません。それでも奥様でプロデューサーの大林恭子さんや長女で映画監督の大林千茱萸さん、千茱萸の夫で漫画家の森泉岳土さんとともに、待ち合わせのカフェにやってきました。恭子さんが車椅子だったこともあり、沿道にあるカフェのテラスでゆっくりと見学しようと思ったのです。

 しかしいざパレードが始まると、大林監督は席を立ち、道ゆく人々に拍手を送り始めました。



それどころかパレードに列に近づき年配の女性に何やら言葉をかけると、一緒に肩を組んで歩き始めたのです。




突然の行動に、こちらは転んで怪我しないかとハラハラ´д` ;。

大林監督いわく「僕と同年代の女性が杖を付きながら歩っている姿を見たら、いてもたってもいられなくなってね」。そして女性と何語で話したのか尋ねると「ハートとハートで会話したんだね」とニッコリ。さすがです。

 その夜、Teatro Nuovo Giovanni da Udineで行われた会見で大林監督は次のような言葉を述べました。

「きょうの戦後71年目の解放記念日のパレードに、僕も一緒に参加してまいりました。ステッキをついた同年代のおじいさん、おばあさんがいっぱいいてね。同じ戦争を体験した老人としては、今日の平和がとっても嬉しくて、嬉し涙が出ました。

 その中には戦争を知らない子どもたちもいっぱい参加していました。

 歩きながら、あぁ、映画を作ってきた僕の人生がここにあったなと思いました。

というのも僕の映画はいつも、戦争を知っている世代から知らない世代へ、戦争を伝えるために作っています。彼らが永遠に戦争を知らなくてもいいように、映画でその役割を果たしたいと思っています。

 ウディネの素晴らしい映画祭に招いていただきありがとう。そして戦後71年目のパレードという素晴らしい出会いをありがとう」。

 残念ながら新型コロナウイルス 感染拡大予防のために75年目の今年は、パレードなどは自粛の模様。でもきっと大林監督は今頃天国で、同じ戦争を体験した人たちと肩組んでパレードしている事でしょう。最後に、大林監督は広島に原爆が投下された時、当時の英国のチャーチル首相が勝利を確信して示したピースサインを好みません。代わりに私たちによく贈ってくれたのが手話の「I LOVE YOU」サイン。


 平和と安泰の祈りを込めて、世界に届きますように。 


中山治美の”世界中でかき捨てた恥を回収す”

映画ジャーナリストの中山治美です。 1991年に初の海外旅行でケニアを旅して以来、仕事やプライベートで随分とあちこち旅してきました。 でも齢50歳を超えて体力的に限界が……。 そろそろ終活⁉︎と思い、 記録に残すことにしました。 2024年4月からは下記で更新。 https://ameblo.jp/haruminakayama-555/

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