ケニアで”鉄”になる

 私は”鉄”です。

ジャンル分けすると”乗り鉄”。鉄道って、旅情をそそりますよね。

きっかけを作ってくれたのも1991年のケニア旅行でした。とはいえ当初は鉄道に乗る予定はなかったのですが、止むを得ず……。

2泊3日のマサイマラ国立保護区でのキャンピング・サファリの後、せっかくケニアまで来たので首都ナイロビだけでなく、インド洋に面した港町モンバサに行くことにしました。移動はお得なバス。そこでチケットを確保しようと、ダウンタウンにあるバス乗り場に向かいました。



すると首筋にコン!と何かが当たったような感覚が。手で首筋をさすってみると、無い! 当時付き合って来た彼氏がお守りにと持たせてくれたネックレスが。

盗まれた? だとしたら、一瞬で盗むなんてプロじゃん! 神業かよっ! 

いやいや、感心している場合ちゃう。

気付いたら、ダウンタウンに紛れ込んだ東洋人を皆が好奇の目で見てました。当時のナイロビは、お世辞にも治安が良いとは言えない。もし窃盗に遭っても、絶対に追っかけてはいけないと言われたものです。ケニアでは窃盗は重罪。なので、追いかけて犯人を捕まえたとしても、腕をぶった斬ってでも逃げるので気をつけなさいと。その言葉が脳裏を過り、慌ててヒルトンホテルに逃げ込みました。ふぅ。

考えて見たら、ネックレスを上手く切ってくれたから首が引っ張られなくて良かった。もしかしたら……と思うと、ゾゾッ💦 これ以上、進んではいけないという合図だったのでしょう。

そうそう、盗まれただけで良かった!と、気を取り直して、バスではなく鉄道での移動に変更。




というわけで、約500kmのナイロビ→モンバサ間を約13時間かけて走る夜行列車に乗ったのでした。

定員6人のコンパートメントの2等車で、240ケニアシリング(約250円)。安っ。

もちろん、列車に変更したからといって警戒心はMAX。同室には小さな男児を連れたお母さんやら、

里帰りっぽい女性など、普通の市民だということは分かってはいるのです。疑うなんて、もってのほか。そうは分かっているのだけど、膝に抱えたリュックを持つ手に力が入りまくり、次々やってくる物売りに対しても「いらない、いらない」と頑なに拒否です。ここで下手に財布を出したら、お金のありかがバレる!ってね。。

その物売りの中にはジュース屋さんもいました。同室の人は皆、購入していたけど、私はガマンガマン。すると、皆が困った顔をしはじめました。当時はペットボトルなんてない時代で、ジュースは全て瓶。なのに栓抜きが用意されておらず、皆、喉を潤すことができなかったのです。

ジャ、ジャーン。

リュックから取り出したのはこの旅行のために購入した、憧れだったVICTORINOXのマルチツール。遂に活用する時が来たーッ!と心の中で叫びつつ、「私が開けましょう」と申し出ました。軽快にポン、ぽんっと次々蓋を開けると「おぉ!」という感嘆の声が。そこから一気に同室者との距離が縮まったのです。夕食を持ち合わせていない私に「チキン食べる?」とか、「私のじゃがいものを分けてあげましょう」とお裾分けしてくれる人も。私がトイレに行く時には、荷物番をしてくれた人もいました。これは”袖振り合うも他生の縁”ってやつ? VICTORINOXさま様です。

私が悦に入っていると、目の前に座っていた男児が「見て!」と声をあげました。

指さす方向を見ると、でっかい夕日をバックにキリンの親子が歩いているじゃないですか。かっこいい〜。しかもナイロビの都会っ子にとっても滅多に見られない光景なのかいっ!と、新鮮な驚き。

そうして、ゆっくり、ゆっくり、一晩かけて辿り着いたモンバサで、まさかの、今まで出会った中で最強のトラベラー・Yちゃんと出会うのでした。

中山治美の”世界中でかき捨てた恥を回収す”

映画ジャーナリストの中山治美です。 1991年に初の海外旅行でケニアを旅して以来、仕事やプライベートで随分とあちこち旅してきました。 でも齢50歳を超えて体力的に限界が……。 そろそろ終活⁉︎と思い、 記録に残すことにしました。 2024年4月からは下記で更新。 https://ameblo.jp/haruminakayama-555/

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