マサイマラ国立保護区でキャンプする
再び、1991年のケニア旅行の話に戻ります。
ナイロビ発のマサイマラ国立保護区へのサファリツアーは2泊3日。
宿泊はテント。つまりキャンプ・スタイル。
そりゃ、ユーミンや教授、宮沢りえちゃんの定宿とも言われ、屋外にあるジャグジーからサバンナが見渡せるムパタ・サファリ・クラブあたりに泊まりたかったですよ。
でもこちとら学生の貧乏旅行。
最安値のキャンピング・サファリで、日本から寝袋持参で参加したのでした。
ところが、これが思いの外良かった。
まず、洗濯サイコー! なにせリュックに入れられたのは、2、3泊分の着替えのみ。マメな洗濯は必須で、日中、テントの屋根に干しておけば、あっという間にパリッパリに乾いたので助かった。
第2に食事環境サイコー!
キャンピング・サファリにはナイロビからシェフが同行し、毎食、私たちのために用意してくれた。食事会場は、この大自然だ。朝はキリンの親子のお散歩を見ながら、パンにソーセージ、卵料理に、コーヒーと言ったイングリッシュ・ブレックファーストを堪能。夜は蛍と星を眺めながら、鶏肉の煮込みや野菜炒めをウガリ(雑穀の粉を湯で練ったもの)で食べる地元料理に舌鼓を打った。キャンプファイアーを囲みながらの食事は、自ずとツアー参加者との会話も弾む。時折、「いま私、アフリカのど真ん中にいるんだよなぁ」と我に返ったりして、それだけでウルウルしたりもした。
唯一、厄介だったのが、食べ物を狙うドロボーがいたことだ。
ヤツの名はサバンナ・モンキー。
すばしっこいヤツで、うっかりテントにお菓子を置き忘れていたら、あっという間に持っていかれてしまう。こっちだって、な〜にもないサバンナで、万が一に備えての食料と水の確保は死活問題に直結する。仁義なき戦いの始まりだ。
一応キャンプ場では、マサイ族を警備員として雇っていた。これで私たちがサファリ・ツアーに出てキャンプ場を留守にしている間も安心。
夜になると、さらにケニアにいることを否応なく実感することになる。
灯は月だけ。娯楽もないので、20時ぐらいには各自、テントに入った。テントは家族単位で用意され、同行者のいない私はひとりきり。日本で生活している時には考えられないくらいの、長い、長い夜の始まりだ。寝袋に入っていざ寝ようとしても、あちこちから「キー!キー!」とか「ガルルルルルル……」とか、なんの動物かは分からないけれど、鳴き声がサラウンドで聞こえてくる。うるさくって眠れやしない。
そのうち、外がドタドタと騒がしくなった。テント越しに、人が走っているシルエットが見えた。ライオンでも襲って来たのか⁉︎と、ふと、女優・松島トモ子がケニアでライオンに襲われて、首にギブスを巻きながら会見した映像を思い起こしたりした(←古いね!)。トモ子の二の舞だけは勘弁。
恐る恐るテントから外を覗いて見た……。
矢を持ったマサイ族が、バッファローを追いかけてたよ。
おい、おい😰。
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