最強トラベラー・Yちゃん

港町モンバサに着くと、途端にモテた。

分かってる。

彼らの目当ては私ではなく、私の背後にあるであろう日本でのビジネス・チャンスであることを。

海辺で仕掛け漁をしていたお兄さんにも言われました。




「写真を送って欲しいから、住所を教えて」って。

なんでやねん。

ホテルにチェックインすると、来訪者が相次いだ。

ホテル・スタッフの「お茶飲まない?」に始まり、果ては地元のクラブでDJをしているという人までやって来て「観光はどう?」とか「遊びに行かない?」と誘いに来た。

夜行列車で到着して眠いのに、勘弁してや。

そう言えば……と取り出したのは「旅行の英会話」。その中に「誘いを断る時に便利なフレーズ」のページがあって、「ふざけてんな、この本」と思っていたのだが、まさかの活用する時が来た。

ドア越しから、「やんわり断る」の「Thank you, but no thank you.」から強めの「Leave me alone!」(ダイアナ元妃が最後に言った言葉ね)までフレーズを使い果たした頃だった。「コン!コン!」とまたノックが。ホテルのスタッフだった。

しつこいなと扉を開けると、日本人女性2人と一緒だった。

「彼女たちが宿泊したいと言うのだけど、生憎満室。彼女たちを一緒に泊めてくれないか? 日本人同士だからいいでしょ?」と。

こんな展開有りか? でも良い人たちそうだし、宿泊料金も折半してくれると言うので、まっ、いっか!と快諾した。

彼女たちは、北海道出身のMちゃん(1枚めの写真中央)と青森出身のYちゃん(1枚めの写真右端)。2人ともナイロビに語学留学しており、モンバサまでプチ旅行に来たと言う。同年代とあり、意気投合。何より一人で心細かったのだが、頼もしい助っ人の出現に安堵した。早速一緒に街に繰り出し、地元で美味しいと評判の海老カレーのお店に出向いた。



食事中、思わずグチった。カラチで蟹釣り漁船に騙されたことや、ナイロビでネックレスを盗まれたこと、そしてモンバサで「こんなモテ期はいらんわ」と言う状況に遭っていることも。

するとYちゃんが言った。

「私、そう言う怖い目に遭ったことがないわ」と。

思わず前のめりで、極意を尋ねた。Yちゃんが取り出したのは、いわゆるコンビニのビニール袋。

「いつも鞄はコレ。今回の旅行もこれだけ。するとまぁ、誰も狙っては来ないわね」。

マジかっ! 見れば、着替えと歯ブラシ1本が無造作にポンとビニール袋に入れられていた。あとはポケットに、わずかなお金を入れているだけだと言う。繰り返すが、ここはケニアだ!アフリカだ。かっけー。 

確かにYちゃんはケニア滞在ですっかり日焼けしており、ウェーブした髪の毛も相まって、日本人離れしていた。これでビニール袋を持って歩いていたら、完全に現地人に同化している。恐れ入った。

流石にビニール袋での旅は、強度面から考えても不安なので真似できないが、Yちゃんとの出会いは、以後の私の旅の心得を大きく変えることになった。

1つは「金持ってます」と言わんばかりのブランドバックや、誰もが持っているようなありふれたバックは持たない。

TPOは多少考慮するが、特徴的な和柄のバックとか風呂敷を活用。映画祭のような多数の参加者がいる場所でも特徴的なバックを持っていたら盗めばすぐにバレるし、会場入り口でセキュリティーチェックをする警備員にもバックで覚えてもらえるしね。

もう1つは、「もしかしたら役立つかも?」と言う余計なものは持っていかない。忘れても、今はもう大概現地で手に入るからノー・プロブレム。

それらを実行する大前提として、現地に溶け込むべく観察力とリサーチ力も大事、大事。

この作戦が功を奏しているのか、今のところ、カンヌ国際映画祭参加中に財布からクレジットカードのみ盗まれたことはあったが、大きなトラブルは無し。ありがたや。

あれから29年……。Yちゃんたちは、今も逞しく世界中を旅しているかな?


中山治美の”世界中でかき捨てた恥を回収す”

映画ジャーナリストの中山治美です。 1991年に初の海外旅行でケニアを旅して以来、仕事やプライベートで随分とあちこち旅してきました。 でも齢50歳を超えて体力的に限界が……。 そろそろ終活⁉︎と思い、 記録に残すことにしました。 2024年4月からは下記で更新。 https://ameblo.jp/haruminakayama-555/

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