カンヌ取材は呉越同舟

 一見、華やかに見えるカンヌ国際映画祭。その舞台裏は地味です。過酷です。

1994年当時の記者の1日は大体次の通り。

8時30分         コンペティション作品のプレス試写

10時30分〜13時     記者会見2、3本出席

13時〜17時       インタビュー取材


19時          コンペティション作品のプレス試写

22時          コンペティション作品のプレス試写 or パーティー

0時           ミッドナイトスクリーン

 合間に原稿を書いたり、カンヌ入りしている映画関係者と会ったり。食事はプレス試写に並んでいる間にサンドウィッチにかぶりついたり、無数に開催されるパーティーで軽食をつんだりで、落ち着いで味わえるのは合間の最終日ぐらい。何より1994年当時大変だったのが写真の日本への伝送。カメラマンを同行させる予算はないので、それも記者が兼務していました。

 しかもデジタル革命は到来しておらず、写真はフィルム撮影。まず街中の写真店でフィルムを現像してもらう。待つこと約1時間。出来上がったネガから指定したコマをプリントしてもらって、それを持ってAP通信のオフィスへ。1枚送信するのに数万円かかっていたので、写真は厳選した1枚のみ。

おまけにAP通信も自分たちの仕事があるわけで、その合間に日本の締め切り時間までに自分たちの写真をきっちり送ってもらうためにはお心遣も必要ってことで、初日にビールを差し入れすることも忘れちゃいけない。いやぁ、写真一枚送信するのにどれだけ時間とお金がかかったことか。ちなみに原稿は、音響カプラーというシステムを使って送ってました。詳細は、こちらのサイトで書いている方がいたのでご興味あれば。この数十年の通信の進化を実感します。

 カンヌ初の新人記者に取材のイロハを教えてくれたのは、他紙の先輩記者の皆さん。実はスポーツ紙のカンヌ取材は、ある時期まで一軒のアパートを借りて呉越同舟で宿泊するのが恒例でした。もちろんベッドルームは別々ですが、原稿は皆で仲良くリビングで執筆。


 これには事情があって、映画祭期間中のカンヌの宿泊費は高額だし、そもそもホテルは常連客が1年前から予約しているとあって全然確保できない。そこで某映画会社がいくつか借りたアパートに、各紙お金を出し合って間借りさせて頂いていた。

 有り難いことに場所はメーン会場から徒歩圏内で、初年度に宿泊したアパートは丘の上にあり、カンヌの海が見渡せる眺めのいい場所。

 唯一の女子とあって、日当たりの良し!+浴室付きの部屋を譲っていただきました。

 あまりにも日当たりがいいもんで、調子に乗ってベランダに下着を干していたら風で飛ばされたり、南仏の風が気持ち良すぎて朝寝坊して、S紙の先輩記者Sさんに起こしてもらったりといろいろやらかしました💦  何しろ土地勘もないし、カンヌで同時多発的に行われている試写や会見のどれを取材したらいいのかもよくわかっていなかった私は、Sさんの後に金魚の糞のように付きまとっていましたっけ。今では考えられないくらい、おぼこかったなぁ、私(遠い目)。

 そんなこんなで平均睡眠時間3、4時間の怒涛の日々を約2週間過ごしたら、体重が7kg減って、ズボンのウエストは拳が入るくらいガバガバになっておりました。カンヌ取材、ダイエットに最適です。


中山治美の”世界中でかき捨てた恥を回収す”

映画ジャーナリストの中山治美です。 1991年に初の海外旅行でケニアを旅して以来、仕事やプライベートで随分とあちこち旅してきました。 でも齢50歳を超えて体力的に限界が……。 そろそろ終活⁉︎と思い、 記録に残すことにしました。 2024年4月からは下記で更新。 https://ameblo.jp/haruminakayama-555/

0コメント

  • 1000 / 1000