初海外旅行はケニア・・・なんでや?

時は、湾岸戦争勃発直前の1991年1月1日。

パキスタン航空で成田空港を出発し、ケニアに降り立ちました。

たった一人の大学卒業旅行、しかも初の海外旅行です。

と話すと、十中八九「なぜケニア?」と聞かれます。

ですよね。自分でも、そう聞いたらツッコミを入れますわ。

だって、当時は海外旅行なんて高額。人生でそう滅多にいけるもんじゃありません。

大阪の企画会社に就職が決まっていたこともあり、安月給のOL生活を送るのであるなら尚更、海外どころか旅行なんて。

ならば、一生に一度の海外なら、究極の場所に行ったろ!と。

そこで思い浮かんだのがケニア。

いつだったか、女優・山口智子さんが交通遺児とケニアを旅するテレビ番組を見ていたら、

山口さんがバルーン・サファリで、眼下に広がる風景を涙を流してた。

「世の中には、泣けるほど感動するような景色があるのか」

まさに探していた究極の場所に相応しいと思ったワケです。

早速、アフリカ専門の旅行代理店・道祖神に旅行の申し込みに行きました。

当時付けていた旅ノートを見てビックリ。

南半球回りの、お得なパキスタン航空でも成田ーナイロビの航空運賃だけで22万円。

ナイロビ発着のマサイマラ・サファリツアーが約7万4500円。

さらにオプションのバルーン・サファリ料金が約4万4000円。

ほか、現地へ行くための予防注射とか、食費も含めたら、なんやかんやと約45万円。

夜間大学に通い、4年間、アルバイトで貯めたお金があったとはいえ、あたい、思い切った。

”一生に一度”の腹づもりが見えるようです。



ただ、パキスタン航空がバンコク、マニラ、カラチ、アブダビを経由しての超長旅だったとか、カラチで蟹釣り漁船に乗ってボラれたり、ナイロビでネックレスをすられたりと、その後の人生教訓にも繋がる”お勉強”もあったワケですが、それはおいおい語るとして、行って良かった!



バルーンから見た、朝焼けの美しさに、涙ダーッ!

広大なサバンナを走るトムソンガゼルや、のんびり歩くキリンの親子の姿に、また涙ダーッ!

山口さんの気持ちが分かるようです。

1時間の空の旅の後は、サバンナにテーブルを広げての朝食です。

大自然の中での食事はサイコー!


我が人生悔いなし!

と、この時は本当に思ったのですよ。

でもまさかその後、スポーツ紙記者になって海外旅行にバンバン行くようになって、ケニアも再訪することになろうとは。

人生、何が起きるか分からんもんです。

ちなみにスポーツ紙時代、山口さんをインタビューする機会がありました。

映画『七人のおたく cult seven』(1992)の大阪キャンペーンの時です。

山口さんがきっかけでケニアへ行ったことを告げると

「へぇ〜。そうですか」

うん、あっさり(苦笑)

でも私にとっては、私の世界への扉を開けてくれた運命の人であると今でも思っております。

VIVA! 智子!

中山治美の”世界中でかき捨てた恥を回収す”

映画ジャーナリストの中山治美です。 1991年に初の海外旅行でケニアを旅して以来、仕事やプライベートで随分とあちこち旅してきました。 でも齢50歳を超えて体力的に限界が……。 そろそろ終活⁉︎と思い、 記録に残すことにしました。 2024年4月からは下記で更新。 https://ameblo.jp/haruminakayama-555/

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