モンゴル映画、来てます!

『シティ・オブ・ウインド』

         (C)Aurora Films, Guru Media, Uma Pedra No Sapato, Volya Films


第19回大阪アジアン映画祭の受賞結果が3月11日に発表されました。

コンペティション部門のグランプリ(最優秀作品賞)に選ばれたのは、ラグワドォラム・プレブオチル監督『シティ・オブ・ウインド』( フランス・モンゴル・ポルトガル・オランダ・ドイツ・カタール)。

シャーマンとしても活動している現役高校生が、ある少女と出会って恋にうつつを抜かしはじめたところ、シャーマンとしての力が弱まり、自分のアイデンティティが揺らいでいく。青年の成長物語という普遍的な物語に、時代の変化で失われつつモンゴルの文化も映し出す。秋の映画祭シーズンで重要なベネチア映画祭とトロント国際映画祭の両方にモンゴル映画として初めて選ばれ、第96回アカデミー賞の国際長編映画賞のモンゴル代表でもあります。


プレブオチル監督は1989年生まれでモンゴル出身。モンゴルで映画制作を学んだ後、ヨーロッパの映画修士プログラム Kino Eyesを経て、ポルトガル・リスボンのルソフォナ大学で博士号を取得した才女です。

 すごく恵まれた環境で映画制作が出来ているのかな?と思いきや、エンドロールに並ぶ参加した企画マーケット数にビックリ。その代表が、2019年に行われたスイス・ロカルノ国際映画祭のOpen Doors.

同映画祭では第3諸国と欧州の制作会社のマッチングに力を入れており、2019年から3年間は東南アジアとモンゴルをフィーチャー。Screenの記事によると、ここでカンボジア系フランス人監督ダビ・シューの『ソウルに帰る』を手がけたフランスAurora Filmsプロデューサーと、モンゴルのプロデューサーと出会ったそうです。

⚫️TIFF spotlight: The story behind ‘City Of Wind’, the first Mongolian film to play at both Toronto and Venice

その後もロッテルダム国際映画祭のHubert Bals Fund 、ドーハ・フィルム・インスティテュートetc...世界各国の企画マーケットに参加し、出資者を募り、脚本をブラッシュアップし、ポストプロダクションの支援も受けて、じっくり、丁寧に時間をかけて完成させて作品であることが伺えます。なので、フランス・モンゴル・ポルトガル・オランダ・ドイツ・カタール合作映画。

日本でも同様の過程を経て制作された早川千絵監督『PLAN 75』が注目されましたが、これが新鋭監督の自主映画を世に出すための世界基準とも言えます。

ちなみにモンゴルでは、2022年にLaw on the Support of Cinematography(映画撮影支援法)が施行され、映像作品のロケ誘致に力を入れています。

本作はその支援を受けて制作された初めての作品。TBS系のドラマ『VIVANT』もその一つです。

⚫️モンゴル政府が観光業振興に注力、「VIVANT」撮影による経済効果250億円超

モンゴル映画界から目が離せません。

 ただ肝心の受賞セレモニーに、プレブオチル監督の姿はありませんでした。



審査員の(写真左から)アンガ・ドウィマス・サソンコ監督、ミモザフィルムの村田敦子さん、脚本家・映画監督・プロデューサーのデイヴ・ボイル


プレブオチル監督は第17回アジア・フィルム・アワード授賞式に参加するため香港へ。カンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)に選ばれ、東京フィルメックスで最優秀作品賞に輝いた映画『黄色い繭の殻の中』のファム・ティエン・アン監督、同じくフィルメックスで上映された『タイガー・ストライプス』のアマンダ・ネル・ユー東京国際映画祭で上映された香港映画『年少日記』のニック・チェク監督、ロカルノ国際映画祭でワールドプレミア上映された『Rapture』のドミニク・サングマ監督とともに新人監督賞にノミネートされていました。

最優秀新人監督賞はニック・チェク監督に贈られましたが、同じく新人俳優賞にノミネートされていた主演のテルゲル・ボルドエルデネが最優秀賞を受賞。


 彼はベネチア国際映画祭オリゾンティ部門でも最優秀俳優賞を受賞しています。


 それにしても大阪アジアン映画祭に、アジア・フィルム・アワードに、米国のアカデミー賞にと、被りすぎる日程をなんとか出来ないものでしょうか?

それは作品関係者だけでなく、通訳も。大阪アジアン映画祭で台湾映画『BIG』の舞台挨拶に登壇していた日中通訳の第一人者・サミュエル周さんが、アジア・フィルム・アワードで審査員長を務めた黒沢清監督の隣にいるお姿を拝見。

 お疲れ様でございます。

中山治美の”世界中でかき捨てた恥を回収す”

映画ジャーナリストの中山治美です。 1991年に初の海外旅行でケニアを旅して以来、仕事やプライベートで随分とあちこち旅してきました。 でも齢50歳を超えて体力的に限界が……。 そろそろ終活⁉︎と思い、 記録に残すことにしました。 2024年4月からは下記で更新。 https://ameblo.jp/haruminakayama-555/

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